城南の保健 289号


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大森西九条の会の映画と講演のつどいに105人

大森西で 大井で 九条の会が結成!!
憲法を守る大きな人垣を(大森西の場合)
 「大森西九条の会発足記念、映画と講演のつどい」が、4月9日開桜小学校体育館で開かれ、105人が参加しました。「日本の戦争・中国大陸侵略」を上映したあと、準備会の寺田事務局長が結成に至った経過を報告しました。準備会ができたのは平成16年10月。その後学習会や懇談会を積み重ね、会結成にむけてよびかけ人を募りました。町会長、町会役員、病院長、天理教会長、老人会会長などにもお願いに行き名前は公表できないが賛同する言ってくださったかたもありましたが、最終的に120名の方がよびかけ人になってくださいました。教育評論家の三上満さんは講演のなかで、大田・品川の大空襲のこと、都内の小学校の校歌に憲法を歌いこんでいる3校の歌詞を紹介したり、きんさん、ぎんさんがこれまでに一番うれしかったことは「戦争が終わって選挙に行ったことだ」といったエピソードも交えて話されました。最後に申し合わせを確認して「青い空は」「ふるさと」をを全員で歌い散会しました。

 

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大井・憲法九条の会には80人の賛同者が

軍隊は決して国民を守らない(大井町の場合)
 3月18日(土)大井第2地域センターで「大井・憲法九条の会」の結成会が行われました。昨年3月から1年間かけて準備を行い、80名の賛同者を得ての結成となりました。結成会は、日本国憲法前文および九条の朗読ではじまり、続いて「憲法九条と私」というテーマで4名の方の発言がありました。
西品川にある教会の牧師さんはご自分の満州からの悲惨な引き上げ体験を語られました。
 当時国民学校1年生。避難先は大変寒く凍傷にかかるようなところで、生まれて間もない弟が仮死状態になり、お母さんは殺すよりも、と中国人にもらってもらい、現在も残留孤児となっています。野宿しているときロシア兵に襲われたこと。関東軍が退路を断つため線路を破壊し、引き上げのほとんどが徒歩で、40日間歩き通したことなど話され「軍隊は決して国民を守らない」と語られました。
 青年からは、昨年原水爆禁止世界大会に参加して、外国の人が九条を知っていることにカルチャーショックを受けたと話しました。大井6丁目在住の70歳の男性は、戦争時、その頃の教育は戦争協力一色で少年でも戦車や戦闘機にのるのが夢だったこと。戦後、先生の教育態度がガラッと変わったこと。戦争が終わって数年間が空が青く自由だったように思うと話されました。


写真それは狂気のお祭りさわぎだった
大田病院九条の会主催、戦争体験を聞く会
 4月18日に大田病院九条の会主催の「戦争体験を聞く会」が催されました。当日は新入職員のほか地域の保健生協組合員さんも参加され、第二次世界大戦を体験した3人の組合員さんからお話を伺いました。とりわけ印象的だったのが、現在東糀谷在住の鏡さんのお話です。鏡さんは少女時代東京の下町に生まれ育ちました。当時は日本軍の中国侵略のまっただ中。日本軍による南京大虐殺は、日本では「南京陥落」とセンセーショナルに報道され、国中あげてのお祭り騒ぎだったそうです。東京の街は花電車が走り、夜の街を提灯をともして行列したそうです。少女時代の鏡さんは「とても楽しい出来事」だと記憶しているそうです。戦争は多くの人の命や財産、祖国をも奪いますが、そこに国民をかりたてているのは、狂気のお祭り騒ぎなのかもしれません。

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