腹八分


 はねだ道をご存じでしょうか。「羽田道」と書きます。現在では忘れられた道ですが、その名が示すように、江戸と羽田を結んで半ば自然発生的に生まれた道です。羽田から大森の美原で東海道に合流するまでの約5キロほどの道のりです。往時は羽田の魚介類、そして野菜を積んだ荷車が江戸市中に向かって通り過ぎてゆきました。▼羽田道には東海道から分かれてすぐの駿河屋通りに始まって弁天、前の浦、東糀谷、大鳥居、羽田中央等の商店街が存在しました。それぞれの商店街は800メートルほどの間隔を置いていました。当時の消費者が日用雑貨や食糧品を買い求める歩行時間に見合っていたのかも知れません。道筋には厳正寺、貴船神社、弁天神社、穴守稲荷、羽田神社、というように、創建の古い神社仏閣がならんでいます。羽田道はまれに鎌倉道と呼ばれることもあり、鎌倉あるいは室町時代に、海岸線に沿って点在する集落を結びながら発生した、古道であることもうかがえます。▼明治維新を迎え、そして大正の関東大震災後には東京の中心部から人口も移動し、工場も建ち並ぶようになりました。商店街はそうした人々の日常生活を支えてきました。太平洋戦争では、あらかた焼き尽くされてしまいましたが、それでも商店街は復興を遂げてきました。▼そして今、商店街は改革の美名と共に押し寄せてくる規制緩和の下でB29の空襲のごとき、日本とアメリカの大資本の攻勢に晒され苦境に追い込まれています。街を守り育ててきた商店街の破壊は、やがて街の破壊につながります。

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