日本での喫煙対策は?
世界各国で禁煙がさかんに言われるようになり、日本でも徐々にではありますが、喫煙規制対策が進んできました。特に、公共の場では禁煙・分煙が進んでいます。愛煙家にとってはさみしい話かもしれませんが、これもみんなの健康のため。喫煙派・禁煙派がともに住みやすい社会環境を目指して、もっと禁煙・分煙化が進んでいくといいのと思います。
<公共の場での喫煙規制対策の歴史>
日本で最初に「分煙」した地方自治体の庁舎は、東京都の三鷹区役所です。1965年から完全に区切られた禁煙室を設けました。その後、1986年に東京23区で初めて足立区役所が中央本庁舎の分煙をし、現在は17区が分煙庁舎になっています。(健康増進法施行以前の数字です)
鉄道関係では、1975年、新幹線こだま号自由席1号車に初の禁煙車が誕生しました。その後、徐々に禁煙車が増え、現在JRでは駅構内・ホームについては分煙を実施しています。一時期原宿駅と目白駅の2つの駅が終日全面禁煙となったが、現在はこの両駅も分煙になり、駅のホームに灰皿が設置されています。
地下鉄は1983年に開設した福岡市営地下鉄がホーム内全面禁煙を実施しました。その後、札幌、名古屋、仙台がこれに続き、東京の営団地下鉄と都営地下鉄が1988年1月1日より終日全面禁煙となりました。そして、4月から横浜市営地下鉄が、1989年になって京都、大阪、神戸の地下鉄も終日全面禁煙となり、日本中の地下鉄は完全に禁煙になりました。
<これからの社会のたばこ対策は?>
名ばかりの「喫煙禁止法」から実効性のある「たばこ行動計画」へ
たばこに「未成年者の喫煙は禁じられています」との表示がなされているのはご存じでしょうが、実は日本は世界の中でもいち早く「未成年喫煙禁止法」を施行しました。1900年(明治33年)のことです。しかし、実効性がないのは、中高生の喫煙が増加し続けていることからも分かります。それでも、社会全体としては喫煙抑制の流れが徐々に太くなってきています。95年には厚生省が「たばこ行動計画」を作成し、翌年には労働省が「職場における喫煙対策のためのガイドライン」を、厚生省が「公共の場所における分煙のあり方検討会報告書」を公表しています。97年3月には、人事院から「公務職場における喫煙対策に関する指針」が、東京都から「都における分煙化推進のあり方」が出され、国や地方自治体の姿勢として喫煙抑制が打ち出されてきています。
<防煙、分煙、禁煙>
厚生省の「たばこ行動計画」は、未成年者の喫煙防止の徹底(防煙)、非喫煙者に対する受動喫煙の影響を排除し減少させるための環境づくり(分煙)、禁煙志望者に対する禁煙のサポートと喫煙継続者の節度ある喫煙(禁煙、節煙)、という3本柱から成っています。これまでの喫煙抑制は、散発的な禁煙指導などが主眼となっていましたが、これからは学校教育や各地域の環境づくりなどと結びついた有機的なたばこ対策が期待されています。
<きっとあります、自分にあった禁煙法>
禁煙を希望している人のためには、色々な禁煙指導の方法が開発されています。禁煙はしてみたものの三日坊主で、ただ一人自分の意志の弱さを嘆き、悩む……。もうそんな時代ではありません。行動科学の成果を生かしたノウハウも取り入れられています。
一人でトライするか講習会形式か
禁煙指導には個人的な方法と集団的な方法があります。個人的な方法には、コンピュータを使った禁煙プログラム、テキストを書店などで購入したり郵送で入手したりといったもののほか、医師による指導を含めてもいいかもしれません。これらは、時間的に自分の都合に合わせやすい、費用が比較的安いなどの利点はありますが、問題はなんといっても成功率がいいとは言えないことでしょう。集団的な方法には、病院・保健所・職場での禁煙クリニック・講習会などがあります。もちろん、個人的な方法と集団的な方法の両者を組み合わせることも可能です。
環境づくりも成功の大きな要素
いずれを選ぶにしても、周囲の人に禁煙の意思表示をして協力をあおぐ、喫煙空間を制限するなど、環境づくりが大切です。禁煙経験者を対象にしたある調査では、成功者はわずか11%でした。しかし、何回も取り組むことが禁煙の成功につながります。ニコチンガムなどを利用した代替療法の開発、客観的な成果の評価法の考案などによって、いまでは随分効果的な禁煙指導が出来るようになっています。
ニコチンガムの禁煙効果
|
左が正常な肺、右が喫煙者の肺 |
常習喫煙によってニコチンへの薬物依存症に陥っている場合は、禁煙を試みても失敗する例が少なくありません。そこで考案されたのがニコチン代替療法です。ニコチンをたばこ以外の方法で摂取し、その摂取量を徐々に減らし、同時に禁煙指導も行いながら禁煙を成功させようというものです。この代替療法に用いられるものがニコチンガムです。ニコチンガムは1973年にスウェーデンのレオ社(現ファルマシアレオ社)で開発されたもので、ニコチン以外に何も含まれていないガム状の薬剤です。禁煙の過程では、つい口さみしいことからたばこに手を伸ばしてしまうことがよくあります。ニコチンガムをかむとニコチンが溶け出して粘膜から吸収され、血液中のニコチン濃度を上げることになり、ある程度離脱症状(禁断症状)を和らげることが出来ます。
すでに50カ国以上で有効性を確認
欧米では臨床使用の蓄積によって、6カ月禁煙継続率が高まるなど有効性と安全性が確認されています。使用が認められている国は、世界50カ国以上に上ります。最近では、日本でもニコチンガムが薬局・薬店などで販売されるようになりました。ただし、妊娠中や授乳期にある女性、重度の虚血性心疾患がある人、アルコール依存症の人などは使用出来ません。また、ニコチン代替療法には、ニコチンを皮膚から吸収するニコチンパッチもしばしば用いられます。
禁煙開始日の決め方
禁煙をしようと思えば、今日すぐにでもタバコをやめられると考えているかもしれません。しかし、禁煙を長続きさせるためには、準備期間が必要だといわれています。準備期間として最低1?2週間とるのが良いでしょう。禁煙を始める日には、次のような条件を1つでも満たす日を選ぶと、禁煙を続けやすくなります。
* 仕事が一段落して、あまりストレスがなく、時間にゆとりのある時
* 夏休みや正月休みなど、禁煙開始日の前後を休みに出来る時
* 宴会やつき合いなど、お酒を飲む機会の少ない時
* 自分や家族の誕生日、結婚記念日、年始めなど、特別の意味のある日
(特別の意味のある日に禁煙を始めることが出来れば、毎年、禁煙記念日と、特別の意味のある日の両方のお祝いをすることが出来ます)
禁煙する理由を確認する
禁煙する理由をはっきりと自覚しているほど、禁煙しようという意欲が高まり、禁煙を継続しやすくなります。
一般的な禁煙の理由
次にあるのは、多くの人が禁煙の理由としてあげるものをリストアップしたものです。
* 健康を害したから、あるいは、体の調子が悪いので
* 今後、健康に良くない影響があると思って
* 経済的理由から
* 家族、知人から言われて
* 医者から言われて
* 周囲の人々の迷惑になると思って
* 自分の意志力を試したいと思って
* 子供や周囲の人々の手本になろうと思って
* 喫煙が社会的に受け入れられにくくなっているから
自分自身の禁煙の理由
では、自分が禁煙しようと思う個人的な理由を3つ考えて、「自己宣言ツール」にその理由を書き込んでみましょう。
(自己宣言ツールは準備期ステージのユーザのみが利用出来ます)
毎日寝る前に、禁煙したいと思う理由を10回声に出して繰り返し、禁煙への意欲を高めましょう。また、今後禁煙を始めてからくじけそうになった時に、この理由を思い出してみて下さい。きっと役に立つでしょう。
喫煙行動を観察する
喫煙は習慣になっていますから、あまり意識せずに吸っていたはずです。自分の喫煙行動を注意深く観察すると、どんな時間帯に、どのような状況下でよくたばこを吸っているかなど、喫煙パターンが分かり、禁煙を継続する参考になります。
喫煙行動の観察によって分かること
1.自分がどのような時間帯や状況下でたばこをよく吸うのか分かります。
〈たばこを吸いやすい状況の例〉
商談時、食後、アルコールやコーヒーを飲んだ時
2.自分がいかに惰性で毎日多くのたばこを吸っているか分かります。
1日に吸うたばこのうち、本当においしいと感じるのは何本くらいありますか?
3.喫煙行動を記録すると、たばこを意識して吸うようになるので、それだけでたばこの本数が減るという効果があります。
よく見られる離脱症状と対処法
*たばこが吸いたい
代償行動法(喫煙の代わりに他のことをして気持ちを紛らわす方法)を行ないます。
*イライラして落ち着かない
ストレス対処法
*集中出来ない
禁煙後1週間は仕事を減らすようにしてストレスを避けます。
*頭痛
深呼吸をする。足を高くして仰向けに寝る。
その他にも次のような離脱症状がみられることがあります。その場合の対処法もあげておきます。
*体がだるい、眠い
睡眠を十分に取る。昼寝、軽い運動、熱いシャワー、乾布摩擦や冷水摩擦など
*眠れない
カフェイン入りの飲み物を避ける。軽い運動をする、ぬる目の風呂に入るなど
*便秘
水分を多く取る
なお、禁煙してから、せきやたんがよく出ることがあります。これは、気道の繊毛の機能が禁煙によって回復し始めるためにみられる一時的な現象です。心配はいりません。また、口寂しさや手持ちぶさたを訴える人も多いようです。
タバコと日本文化
ポルトガル渡来のたばこ
初めは薩摩の指宿に入り、やがて長崎へ伝わり、宝暦年間(1751?64)に浦賀に入って全国に普及しました。
江戸の風俗として定着
当時、たばこは相思草、返魂草などと呼ばれ、初期には刻みを巻いて吸っていましたが、ポルトガル人がきせるを伝え、独特のたばこ文化を生み出しました。きせる、たばこ入れ、たばこ盆といった道具は、社交の道具、粋な装身具として発達し、江戸時代の風俗を語るに欠かせないものとなります。その定着ぶりは、数々の浮世絵(鈴木春信「おせん茶屋」など)や歌舞伎にうかがうことができます。
紙巻は文明開化のシンボル
明治時代を迎えると、新しい欧米の文化と共に文明開化のシンボルとして紙巻きたばこが流入しました。日本では岩谷商会、村井兄弟商会による「天狗印」「ヒーロー」などの国産紙巻が人気を集めます。日清・日露戦争がぼっ発すると、たばこは戦費調達のために使われ、後の太平洋戦争に際しては恩賜(おんし)のたばこが兵士に配給されるなど、たばこは国策と深く結びつくようになりました。1904年には、たばこ製造販売の専売制が施行されます。1906年には両切りの「ゴールデンバット」が発売され、現在も続くロングセラーとなっています。
|