原点と夢
平和と憲法
暮らしと福祉を守る
〜私たちの原点と夢を語る〜
城南保健生協新春座談会


憲法だけはどんなことがあても守りたい

座談会出席者
小関直彦(城南保健生協理事長)
片田靖子(大友会事務局次長)
古口昭代(ゆたかの家運営委員)
中泉聡志(大田病院内科医師)
植田栄一(城南保健生協専務理事)

 植田(司会)明けましておめでとうございます。今年は被爆60周年の節目の年です。去年は地震や台風が「災い」をもたらしました。また自衛隊のイラク派兵やアメリカのイラク攻撃が行われ、国内では憲法を変える動きが急速に進んでいます。一方で、日本国憲法を守るために立ち上がった良識ある人々が「9条の会」を立ち上げました。本日お集まり頂いた方々に、平和・憲法・まちづくりをキーワードに語って頂きたいと思います。
 まずは自己紹介を兼ねて、昨年をふりかえってもらいたいと思います。

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小関直彦さん

 小関:理事長の小関です。お見受けしたところ私は昭和10年生まれなんです、この中で一番高齢かと思います。私が小学校に上がる前の年が太平洋戦争の始まる年なんですね。ちょうどイラクでアメリカの無差別攻撃で子どもたちが殺されていますが、私も同じような思いをしたわけなんですね。
 そんな経験をしましたので戦争が終わって新しい憲法ができて平和な日本が築けるんだと聞いたときには、こんな嬉しいことはなかったですね。だからこの憲法だけはどんなことがあっても守っていかなければならないという気持ちでいっぱいです。
 古口:私城南保健生協にかかわって22年くらいになります。きっかけはゆたか病院が近くにあったことが大きいと思います。命の問題にかかわって行こうと思ったんですが、なかなか思うようにはいきませんでした。仕事をしていた頃は地域を走り抜けていたという感覚でしたが、定年退職後、地域というところに根を下ろしたくてボランティア活動の拠り所というか、たまり場的なもがあれば生協の活動も活発になるのではと考えて、「ゆたかの家」を立ち上げました。手芸をやったり、絵手紙をやったり、いろんなことをやっているたまり場ができて6年がたちまました。

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片田靖子さん

 片田:大田区に被爆者の方は約300名ほどいらっしゃるんですが、「あなたは被爆者よ」と被爆手帳をもらったのが結婚する27歳の時だったんですね。それまでは被爆のことなんて全然頭にありませんでした。戦争がひどくなり、母に連れられ九州の天草に疎開する途中に広島で被爆しました。広島の一つ手前の駅で汽車が動かなくなり、歩いて広島の街を歩きました。ちょうど5歳の時でしたが、原爆ドームの前も歩いているのに本当に覚えてないんです。それで退職後、大田の被爆者の会(大友会)にかかわるようになりました。
 中泉:大学は昭和大学なんですが、住んでいたところが大森南だったんです。民医連のパンフを見てとても患者さんを大切にしている医療機関だと感じ、一度見てみようと、半分疑いの目で下宿先から近い大田病院に実習に行きました。大田病院の医師は患者さんの病気のことだけでなく、生活背景や家族のことなどをよく把握しており、他のスタッフも実習生に優しく接してくれましたし、もちろん患者さんにも優しいんですよ。「(パンフに書かれていたことは)本当だったんだな」と思ったんですよ(笑)。それで民医連で働いてみようかなと。 去年はIPPMW(核戦争防止国際医師の会)総会に参加させてもらいました。イラクのことを考えると本当に切なくなります。平和な世の中があってこそ、僕らがやりたいことがやれるんだと思います。医師になって4年目になり、後輩も入ってきて教えてもらう立場から段々教える立場になってきました。医師研修の分野でも知識や技術を習得するだけでなく、人権感覚を身につけた、社会人として成長のみられるような研修にしていく必要があります。

終戦・被爆60年 核兵器廃絶に向けて身近な人の話に感動が

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植田栄一さん

 植田:今年は被爆60年の年にあたります。実は昨年初めて原水禁世界大会に参加しました。大会の中で印象的だったのは2020年までに核兵器を廃絶しようという秋葉広島市長の発言でした。是非とも核兵器廃絶にむけて大田、品川の地域でも前進させたいと思うのですが。
 片田:大田区には約300人の被爆者がいます。昨年アンケートをとりましたら平均年齢が73歳でした。暮らしと健康の問題、それから心のケアの問題というのがアンケートのなかで出てきています。大田では被爆者の方がどんな生活をしているのかなかなかつかめなかったんですけど、今回のアンケートで少しわかってきました。他の地域では訪問などをしているところもあるんですね。大田もアンケート活動からどう発展させていくのか課題だと思います。
 東京段階では2つの裁判をたたかっています。東さんの原爆症認定裁判は東京地裁では勝ったんですが国は控訴しています。もうひとつは原爆被害を受けた被爆者たちが、いま全国で原爆症の認定を求めて集団訴訟を起こしています。東京だけで28人の方が原告となったんですが、ほとんどの人が癌などの疾病をかかえており、すでに2名の方がなくなられました。8歳の時に広島で被爆した人の証人調べがあったんですが、被爆してから今まで健康な状態ではなかったと証言されました。今若い人で裁判や平和運動にかかわってきている人が多くなっています。今の時代は署名とかやってもなかなか成果が出ないことが多いのですが、「東さんの裁判」で勝ったとき、隣にいた若者が飛び上がって喜んでいたのが印象的でした。

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 中泉:IPPMWの総会は56カ国350名の参加で北京大学医学部で行われました。東京の青年医師は5名くらいでした。秋葉広島市長も参加されていて、「核戦争が始まってしまえば医師も市長も関係ない、何もできないんだ。被爆の体験を語り継いでいきたい」という発言に参加者がスタンディングオベイションが続き秋葉市長が帰れない場面もありました。そこには思想や宗教の違いを乗り越えて平和のために手をつなぎあおうという熱気に満ちた総会になりました。
 僕たちより若い医学生も参加していて、パキスタンの医学生の発言が印象に残りました。彼らは戦争難民の子どもたちを救うボランティアをしていて、平和運動の先頭に医学生が立っていることにとても励まされました。なかなかいろんな国の人たちとお話する機会はないので参加してとても良かったと思います。このような草の根の運動がだんだん大きくなって国家をも動かしていくのかなぁ〜と感じました。
 植田:被爆者の方も高齢になっています。やはり語りつがなければいけないんでしょうね。
 片田:被爆者も今語らないと、あとはないんだという思いが大きくて、今まではそっとしておいて下さいとおっしゃっていた方が、「もう話します」と言う姿をみると私たちが語り継がなければと思います。
 「けやき」の配食サービスが終わった後、被爆体験を聴く会をボランティアや近くの利用者のかたも招いてコラボ大森でやったんですが、いつも一緒に調理をしている若いスタッフの子が身近な人が語ってくれたのが良かったといってくれました。

「ボランティア活動の先に見えたもの…」それはまちづくり

 植田:次のテーマに移りたいと思いますが、今、地域の暮らしの実態がどうなっているのか出し合ってみたいとおもいますが。

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古口昭代さん

 古口:ゆたかの家のまわりでも一人暮らしの人、高齢者だけで介護をしている世帯が増えています。ゆたかの家でやっている年末のおおそうじなんかも、年々数が増えるんですよ。しかし要望に対応できるだけのボランティアの数が足りないのが現状です。どこかで誰かが無理しながら運営しているというのがゆたかの家の実態です。
 でもゆたかの家のことで埼玉の医療生協に呼ばれてお話したんですが「ボランティアの先に見えたのは何ですか?」と聞かれて街づくりだと答えたんですね。やはり自分の住んでいるまちのことを知り、つながりを大切にと、つくづく思っています。一人になってこんな大きい家いらないんだけれど、直すのに金がかかるので現状維持で我慢しているとか、買い物に行けない、おしゃべりする人が欲しいなどいろいろな要求を持っています。それをどう保健生協の助け合いの運動が手助け出来るか課題です。
 片田:小学校が統廃合されて、旧大森第六小学校が区民活動を支援する施設にかわりました。大森西の生協の組合員も施設活用についての提言を行い、昨年4月から「こらぼ大森」という名称でスタートしました。そのなかで生協の組合員が配食サービス「けやき」を立ち上げ週1回月曜日の昼食を作って配達しています。私自身は月1回当番がまわってきて買い出しをして調理をお手伝いしています。配達している人には高校生くらいの人もいて、いろんな年代のひとが関わって「いいなぁ〜」と思っています。
 私もさきほど古口さんがおっしゃっていたように、職場と家の往復で地域を知らないんですね。そういう意味では「けやき」のボランティアにかかわってよかったかなと思っています。このお弁当どんな人が食べているのかなと。これから利用者訪問も計画されていますが、すこしづつ地域がみえてくるのではないでしょうか。

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中泉聡志さん

 中泉:往診していると病気になってもお金のことを気にしながら療養しなければいけない現状がありますね。入院していても家に帰り、長年住み慣れた地域で一生を終えたい気持ちはみな強いですね。介護保険の問題では高齢者の二人暮らしの世帯では一方が病気になるともう一方も具合が悪くなったりして、家族のバランスが崩れて来ます。必要な人が必要な介護を受けられないのはいかがなものかなと思います。
 ある患者さんは脳腫瘍が見つかったんですが、大田病院は脳外科がないので、やれることは限られています。大学病院に行けばいろんな治療ができるのだけど、差額ベッド代など、お金の事がネックになって、ご家族の方は大学病院への転院はあまり喜ばれない。と言うか拒否されています。僕も頭を悩ましています。
 植田:医学・医療技術だけではなかなか直せない問題というのはたくさんあると思いますが、大森中診療所で何でも相談をやっておられる小関理事長はいかがでしょうか。
 小関:昨年の8月から大森中診療所でよろず相談をやっております。先日相談に見えた方は、生活習慣病健診を受けた患者さんで病気が見つかって治療が必要なんだけど、これ以上の治療はやらないで下さいと先生に言ったそうなんです。そしたら先生が下でよろず相談をやっているから、相談してみて下さいということで、私の所にきました。

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 私、最初にお名前と住所を聞くんですが、「実は訳あって住所が定まってないんです」と言うんです。「夜は24時間営業のコンビニで暮らしている」と言うんです。商売がうまく行かなくなり、借金がかさみ取り立てもきびしく家にいられなくなったそうなんですね。病気のほうも大変だけど住まいの問題は緊急性を要するので、生活保護制度のことを話し、一緒に地域行政センターの生活福祉課に行きました。いろいろ紆余曲折はありましたけど、何とか生活保護が受けられるようになりました。
 生活福祉課は残った借金のほうの面倒はみてくれません。決してその人の生活全体を見渡して援助をしてくれるようには制度的にもなっていません。こういうところは改めさせていかなければと思います。

地域の人と一緒になって医師の養成を

 植田:みなさんから地域の実情や活動を聞かせてもらいましたがどれも貴重な教訓を含んでいると思います。憲法25条と9条はセットだと言われています。平和と暮らしを守るための活動を今年も大いにすすめていきたいと考えていますが皆さんに今年の抱負を語って頂きたいと思います。
 片田:大田の被爆者健診を年2回大田病院で行っています。今被爆二世の方から東友会に相談が増えています。被爆二世の健診制度があるのが東京と神奈川だけなんです。ですから大田に住んでいる被爆二世の方に健診を受けてもらいたいなあと思います。そんな呼びかけを先生達といっしょにできるといいですね。
 中泉:医師養成のところで地域の人と取り組みたいと思っています。昨年は一年目の渋谷先生が「けやき」で地域のみなさんと一緒に配食サービスをやりましたが、医師養成は知識や技術の習得だけでは本当に患者さんの立場に立った医師は養成できません。地域の人と共に行動し一汗流し、学び合う場が必要だなと思っています。今年は地域の人と一緒に研修医を育てていきたいというのがテーマと言うか、お願いと言うか(笑)やってみたいですね。
 古口:ゆたかの家でも研修医や「けやき」の青年グループを受け入れてきましたが、高齢者だけでなく子どもたちや主婦層にもかかわっていきたいと思っています。以前は食事作りで精一杯のところもありましたが、他の共同組織の経験も学びながら実現したいと思います。あと、みんなが助け合い、安心して生活できるような高齢者の共同住宅が作れれば楽しいと思います。
 小関:大森中診療所のよろず相談コーナーをしっかり取り組んで、定着させていきたいと思っています。それと中診療所以外にも医療機関があるわけですから、多くの人が相談活動に関われるような後継者づくりといいますか、人作りの課題にも取り組んで行きたいと思います。
 植田:世界の平和、憲法を守る運動を草の根から広げていく年にするためにも、健康づくり、まちづくりの運動に取り組みながら城南保健生協の仲間の輪を大いに広げる年にしたいと思います。本日はありがとうございました。

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