大田病院、大森中診療所は一月一九日に院所利用委員会を行いました。懇談のまえに城南給食センターを見学しました。参加者からは「食中毒も予防できる清潔システム、三〇〇〇食も作れる設備はすばらしい」「入院して食事をしてみたい」等の感想が出されました。
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感謝されました。
隣の人が切り傷をして相談に見え、救急外来を勧め診てもらいました。翌日大森中診療所に受診したら昨日の事が伝わっていて、連携の良さと年末年始に診てもらえ地域の人に感謝された。
苦情も出されました。
入院患者様が新たな病気がみつかり、他の病院に転院しました。その時資料(レントゲン)が届いていなかったと苦情を聞きました。せっかく早期発見して治療に結びつけられ喜んでいたのに、約束したものが届いてなくて残念です。
提案!その1
ボランティアの方から面会時名札をしない人がまだいます。面会時間、消灯時間の表示がわかりづらいので、玄関に表示したらどうでしょうか。
提案!その2
受付が救急を受け入れるところなのか、会計なのかわかりづらいので、わかりやすい表示を考えた方がよいのでは?
大森中診療所
受付で耳の遠い方の対応を見ていて、話が通じなくて苦慮している場面をみかけます。何らかの対応を考えた方が良いのではないでしょうか?
診療所の前の横断歩道に視覚障害者用のボタンが設置されたとの報告がありました。
糀谷方面から大森中への受診は交通の便が悪いので、巡回車を糀谷の方へも回してもらえないでしょうか。
大森中診療所相談コーナーより
大森中診療所の一階待合室の一角で「なんでも相談」と銘うって相談室をオープンさせたのは昨年の九月でした。今日までいろんな相談が寄せられ、その対応のため私も勉強する機会を得て、相談室を設置してよかったと思っています。患者さんとの対話をとおして、改めて地域に刻まれた歴史の重みを深く感じ入っています。あわせて地域の人たちとつくってきた大田病院や城南保健生協の歩みの意味を再確認しています。
大森東四丁目に住むIさんは九二歳。杖をついてますが矍鑠(かくしゃく)として通院しています。この方の自分史の語りには興味深いものがあります。日本特殊鋼があった時代・・・映画館が三軒もあった美原通りの賑わい、幼少の関東大震災の被災体験、つらかった北支での軍隊体験、蒲田駅まで見通せた空襲後の焼け野原など次から次へと場面は広がります。Tさんは羽田地域の変遷の生き字引、小柄なOさんは戦前築地小劇場の子役として舞台を踏んだとか。滝沢修、山本安英などきら星のような名優と親交が深かったのです。まさに「人に歴史あり」です。こうした多士済々の人たちと私たちは保健・医療・福祉・介護の明日を準備しているのです。
(城南保健生協副理事長 色部祐) |