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大森中診療所所長 澤浦美奈子 |
加齢による性格の変化
高齢者の場合他の年代より性格による問題が多いことに気づきます。その理由は年をとると一人で生きていけなくなり(そのため人との関わりが必要になります)、人の世話にならざる得なくなりますがほとんどの老人がこれまでの生き方や性格を変えることなくその結果、かかわる側が問題を一方的に引き受けることになり、性格による問題が表面化します。
(1)同じことを何度も聞く(強迫的な性格)
同じことを何度も繰り返し聞くという行動パターンがあります。これは物忘れがひどい、痴呆が進んだと思われがちですが、必ずしもそうではありません。確かに痴呆がはじまってから目立つようになりますが、その日の予定を何度も尋ねるのは単に記憶障害だけの問題ではなく覚えている証拠です。本人が忘れっぽくなったということを自覚しているためという場合もあり、家族とのつながりをそのような形でしか持てなくなっている場合もあります。このような行動に悩まされている家族は実はたいてい老人と同じような性格を持っています。聞かれてその都度、生真面目に答えたり証拠を見せて説明します。いい加減にあしらうことができません。老人は相手にしてくれない人や、すぐに怒るような怖い人には聞かないのです。同じレベルで対応するのではなく一歩距離をおいて、巻き込まれずに聞くゆとりやさりげなく話題を変える対応が必要です。そのどっしりした態度に老人は安心するようになります。
(2)体の不調をとりとめもなく訴える(心気症・退行)
心気症とは体の不調にこだわり必要以上に苦痛を訴えることで、不定愁訴もほぼ同じ意味です。また退行とは心理的な子供がえりのことです。自己中心的で依存的、わがまま、甘え、自分に注意を引きつけようとするなどの特徴があります。気に入らないと大声で泣きわめいたり、物を投げたり食事を拒んだりします。家族や介護者はしばしば心気症状にふりまわされます。ここが痛い、苦しい、胸が苦しい、腿から下が痛い、足がしびれる、めまいがする、背中が熱い、おなかが冷えるなど体の不調をとりとめもなく訴えます。しかし病院では病気でないと言われ精神安定剤を処方されることもありますが、それで安心したり納得はしないようです。心気症にはいくつかのグループがあります。ある一群は身体的な不調を訴えることが人との唯一のつながりです。あいさつがわりなのです。人に会って「手がしびれて」と話し始めます。しかも毎日のように誰にでも同じことを訴えます。別の一群は退行していて自分に注意を向けて欲しいために身体の苦痛を訴えます。それも家族やスタッフの忙しい時に言います。心気症に対する対策は当人が訴える痛みやしびれは、本当にあると受け止めて対応することが原則です。この症状のもとには、他人にそのつらさをわかってもらいたいという気持ちがあります。訴えに時間をかけて耳を傾けます。そしてあれこれと症状に対する対策やその場しのぎの返事をしないでじっと聞くことです。そうするうちに「年だからしょうがないのかね」「薬にばかり頼ってもいけないしね」などと本人が答えを言い始めます。必ずしも何かをして欲しいとか対策を求めているわけではなく、落ち着いて話を十分に聞き、間をおくことで受け入れられたと安心できるわけです。この段階で初めて症状に対して「さっき薬を飲んだばかりだからもう少し様子をみよう」「ちょっと休んでみてはどうか」などとそれとなくワンテンポ間をおくようにすすめます。
(3)意欲がない、だらしないひと
年をとってからなにもしなくなり、散歩や庭に出ることもいやがる人もいます。元々性格的にそういう事が嫌いな人もいますが脳の損傷のために自発性や意欲がなくなった人もいます。この症状には二つのタイプがあります。一つめは脳の病気があっても記憶や知能の障害は軽いのに自分から何かをしようとしたり周囲への関心がないことだけが目立つ人です。このタイプは改善しにくく、話しかけたりデイサービスに出ればよくなるというものではありません。なかには食事や着替えもすべて人まかせで介助を求め放っておけば風呂にも入らず、失禁して汚れていても平気という場合もあります。それは人格水準の低下をともなっているため、だらしないとか不潔だと言われても気にしないのです。人との交わりが少なくなり精神的な活動性はますます衰え痴呆が進行してしまいます。もうひとつのタイプは自分の意思で「もう何もしたくない」「人とのかかわりもたくさんだ。そっとしておいてくれ」と決めている人です。彼らの多くはそれまでに仕事や家族との生活を一生懸命に生きてきた人々です。そして年をとったら急に「もう十分に生きてきた。疲れた。このままそっとしておいて欲しい」と言います。このような生活行動は社会的な通念からは異常に映ります。また一緒に暮らしている家族にとってみれば耐え難いことで、ぼけているのではないか?ぼけるのではないかと心配になります。このような場合はその人の老いをなにもせずにかたわらでじっと見守ることも大切な対応です。その人なりに生き、その人にふさわしく老いるということをかたわらで見守ることも大切なことです。そのようなかかわりを身につけるためには自分とは違う価値観や人生観を知り自分の見方を広げることが必要です。
(4)涙もろくなる
痴呆では人格や感情は障害されないということになっています。しかし人格や感情は脳の損傷の影響を多かれ少なかれ受けます。中でも老化に伴ってよくみられるのは感情失禁です。孫の話になると急にポロポロ涙を流したり昔の苦労を感謝されると涙ぐみ話が出来なくなります。感情失禁では深い感動で強い感情にひたることは少なく話題を変えるとそれに応じてすぐ笑い出したりします。これとは別に特異な感情状態を示すものがあります。無感情と呼んでいます。家族や施設の人々の話に加わらず周りがいかに騒いでいてもわれ関せずです。感情の表出を全く抑えているのです。年をとってから息子や娘の家庭に同居した老人や施設の入所者に時々みられます。痴呆でも感情の病気でもありません。自分の感情を表すと一緒に暮らしている人々との間に摩擦や違和感が生じることを恐れているように見えます。無感情と言う特異な姿で周囲に適応をはかっていると考えられます。
夕方症候群
夕方になると「これから家に帰ります。お世話になりました」と家族にあいさつをして出て行こうとする痴呆老人がいます。これと同じ症状は病院や老人ホームでも見られます。この行動の特徴は夕方になると落ち着かなくなり徘徊をはじめたり、押入れの中のものを出したり、いろいろな物を風呂敷に包んで出かけようとします。また台所で炊事をしようとする女性もいます。感情的にも不安定になり怒ったりわけもなく興奮することもあります。人によってだいたい決まった時間におこり、二〇〜三〇分から長い場合は二時間位続きます。原因はわかっていません。この症状に対する家族や介護スタッフの対応には次の三つのタイプがあります。第一は誤りや誤解を指摘して現実を正しく認識させようとするもの。第二は老人の異常な世界を積極的に肯定し一緒に行動するよう取り組むもの。第三は老人の世界を否定せずに受け止め安心するように対応に努めるものです。このような対応の違いはその人たちの生活・人生観・そして人間関係を反映しています。第一のグループの人たちは「家に帰る」という老人に様々な手段でここが家であることを納得させようと努めます。手紙や葉書をみせて宛名と表札が同じであることを示したり登記書類のコピーをみせたりします。そうすると老人は一旦は納得しますがすぐまた自分の世界にもどって、同じ事を言ってきます。このようなことを繰り返していると家族はイライラがつのり老人はますます落ち着かなくなります。第二のグループは家族による様々な工夫がみられます。例えば家族が外へ出て行き、その後ろからついて歩き疲れたころをみはからってさりげなく声をかけ、家に連れ帰ります。第三のグループは家に帰るという老人に「迎えに行くと電話がありました。車が来るまで待っていて下さい」とか「一緒に行きますから私の用が済むまでお茶を飲んでいて下さい」「雨が降ってきたので明日にしましょう」などと言ってその場をおさめます。間をおくのです。このような時に大切なことは当人が安心できるようにすることです。説教ではなく納得が必要と言われています。
最後に
痴呆老人に必要なことは訓練ではなく「今」を豊かにすることです。咲いている花を楽しみ犬や猫に親しむというその人らしい感性を保つようにすることです。そして家に閉じこもり限られた空間で二〜三人の家族に囲まれた生活を送るのではなく日々の生活を出来る限り豊かにし、彩りを持たせ人や生活環境が開かれているようにすることです。簡単なことのようですが、毎日のことで家族にとっては相当根気がいる事です。そのため家族を支援し痴呆老人の生活空間を広げるためにホームヘルパーやデイサービスを充実して、もっと幅広く気軽に活用できるようにすることが望まれています。
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